2004年09月01日

◆コンクリートも自然。そう考える柔軟さ。(5/8)

 なぜそう思ったかというと、ひとつには、息子のことがあります。彼が小学生だった頃、70年代初めですが、小学校の校庭がラバー敷だったんですね。つまり、小学校でも土を踏まない。家に帰ってきても原っぱなんてないから、駐車場で遊んでいるんです。通りの街路樹の根元に少し舗装していない地面が残っていますが、ペットの排泄をそこでするんで、実際きれいな土じゃない。それで息子が「土は汚くてきらいだ」と言うんです。それを聞いて僕は、ああ時代は変わったんだな、と思いました。
 すると「本当の土がある田園風景が自然で、都市は人工的で反自然」という考え方と、この現実はあまりにかけ離れていて、息子たちの世代はかわいそうじゃないか、という気がしたんです。彼らがコンクリート貼りの駐車場で毎日遊んでいるなら、このコンクリートの床こそ、彼らにとっての新しい自然ではないか、と。その意味で、自然というのは農村的なもので、都会は人工的なものだ、と考えていたのでは、これからの若い人たちは生きていけないじゃないか、と思うんです。都市もまた自然だ、これは彼らにとっての自然だ、という風に考えの根本を改めていかないと「自分は生まれた時から不自然だ」と思ってしまいますよね。
 それから、当時地下鉄で通勤している時に感じたことがあります。地下鉄という最も人工的なはずのものの壁の継目に何か地下水らしきものがにじみ出ていて、そこにいろいろな色のカビや苔があって、シミそのものもいろいろな形をみせている。「ああ、これは抽象的な絵画のようだな」と、そのとき思ったんです。ホームに立ち、壁に向かって指でつくった四角い枠の中からよく覗いていました。そんなことをしていても誰も注意しないしね。地下鉄のホームでシミを一生懸命見ていた人はあまりいないだろうけど(笑)。
 街中でも、コンクリートの塀の地面に近いところなどには、よく見ると、うっすらと緑のビロードのように苔が広がっているんですね。雨上がりなんかは特にそれは見事に綺麗ですよ。まさにそのひとつひとつが生物の美なんですよね。
posted by rag at 09:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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